さぁ、海が始まるージストニア・慢性疼痛との闘いー

メインページ

「ここに地終わり 海始まる」

宮本輝の小説「ここで地終わり海始まる」にでてきたロカ岬

ポルトガル史上最大の詩人ルイス・デ・カモンエスがそう詠んだ詩で、ユーラシア大陸最西端 ロカ岬の詩碑には以下の文字が刻まれている。

ONDE A TERRA SE ACABAR E O MAR COMECAR

日本語訳は「ここに地終わり 海始まる」だ。

自分がこの言葉をはじめて知ったのは関東の大学生に通っていた頃。作家 宮本輝の同名の小説を読んだことがきっかけだった。

その小説は、結核で18年の療養生活を送っていた女性が色々な出会いを経て、諦念から開放され、紛れもなくいままでとは違う人生を歩んでいくさまが描かれている。

もともと「青が散る」という小説で同作家を知り、以来、多くの著書を読んできたが、特に印象に残っているのが、新たな始まりを感じさせるこの言葉であった。

大学でのテニス生活と身体に起きた異変

大学生活では、「青が散る」の影響もあり、体育会系の式庭球部に所属した。入部当初は、7階層に分かれている関東学生テニスリーグの中で最下層に属していたが、三十数名の部員は昇格することに命をかけていた。

「たかがテニスやないか。」

本当におっしゃる通りww

しかし、当時若かりし自分は何かに愚直に情熱を注ぎたかった。毎日毎日、アルバイト以外の時間は飽きもせずテニスコートにいた。

一年の頃は球拾い、声出し、ボール拾い、審判ほか雑用。ようやくコートに立てはじめたのが二年生に上がった頃だった。

三年生になった頃にはレギュラーにもなり、チーム全体としても連続で昇格を続け、個人でも関東学生まであと一歩というところまで実力をつけた。

異変が起きたのはその頃だった。

慢性疼痛と自律神経失調症との闘いのはじまり

夏の関東学生テニス選手権(通称:夏関)の二次ファイナルで、あと一回勝てば関東学生という試合。気温は30℃を超えの良く晴れた日だった。相手は有名私大のH大学の有名選手との試合の最中。

1stセットを5-7で奪取され、2ndセットを3-1で自分のサービスゲームだったと記憶している。

急に頸と肩に強烈な痛みが走り、手足が痺れ、目の焦点が合わなくなり、自分がどこに立っているのも分からなくなった。そして、そのままゲームを連取され、なすすべもなく試合は敗退となった。

ー試合は負けてしまったがリーグ戦がある。この症状もしばらくすればおさまるやろうー

それが地獄の始まりだった。

翌日、近くの整形外科にいくが異常なし。紹介状を手にしていった大学病院での精密検査(血液・MRI ・C T etc)も異常なく、多少ストレートネックと言われる程度だった。

原因がわからないが症状がある、これが自律神経失調症や不定愁訴という言葉で消去法的に括られるのを知ったのもこの時だった。

具体的な症状

その時点で出ていた症状は以下の通りだ。


  • 全身症状

 めまい

 立っている時、前後左右に体が揺れる

 作業記憶の低下

  • 精神症状

 希死念慮(背中の痛みが酷い時)

 不眠(入眠障害、断続的な睡眠)

  • 頭部

 側頭部の痛みうまく動かない

 後頭部の痛み 

 咬筋の痛み

  • 頸肩

 僧帽筋の痛み

 巻き肩

 鎖骨付近の痛み

 肩甲骨の間の痛み

 翼状肩甲の発生

 三角筋の痩せ

 複視

 立体視ができない

 周辺視野能力の低下

 羞明

 光の尾を引いた何かが見える

 耳周りの痛み

 耳鳴り(高周波)

  • 口腔

 嚥下障害(飲み込むときにゴリゴリ音が鳴る)

 声が出しにくい

歯が噛み合わない

ドライマウス

  • 呼吸器

 呼吸しづらい(%VC60) 

  • 循環器

 起立性頻脈

 起立性低血圧

  • そのほか
     顔の震え

    医者はこぞって時間が経てば治るとか、気にしすぎとか、だいたいどんな人も何かしらの症状がある、などの言葉をかけてくるが、これだけ酷い症状に理由がまったくないとは到底考えられなかった。
    その後、関西の電機メーカーに就職し、以来十数年、場所や会社を変えて働きながら(えらい!)様々な治療を試してきた。
    ちなみにその間にかかった医療費は1,600万にものぼる。
    ある全国的にも著名な総合診療の医者にかかり、これまでの治療歴を見せたところ「ここまで、慢性疼痛や自律神経症状に対して代替医療含めてやり尽くした患者は見たことがない!」とお褒め(?)の言葉をいただいた。

結果的にその先生との出会いが、寛解へのきっかけとなったのだが、それは別途詳しく書くこととする。

なぜ「海が始まる」をブログタイトルとしたか

いま、自分の症状は治療により寛解へとベクトルが向いている。しかし、どのくらいの期間でどの程度治癒するか、固定される症状はあるのかなど、ネガティブな要素も未知数である。

宮本輝の群像劇に登場する人物はみな何かしら喪っている。(青が散るの中では”何も喪わなかったということは、じつは数多くのかけがえのないものを喪ったのと同じではないだろうか。”とも言われている。それでも、強く前を向いている。

これからどんな人生が始まろうとも、それが良いものであってもそうでなくても、それまでの諦念などネガティブな感情、そして希望ですら地に置き去りにして、海の始まりを初めて見るような気持ちで生きていたいと感じたこと。

これがブログタイトルとした理由だ。

今後どんなことを記事にしていきたいか

まず第一に、同様の症状に苦しむ方へ適切な情報提供ができれな良いな、と考えている。

自分自身、正しい情報に適切なタイミングでリーチできれば、ここまで無駄なリソースを割かずに済んで良かったと感じているからだ。

そして第二に、自分のこれからの暮らしについて。

症状とどのように付き合いながら、生活を営むか、仕事をするか、音楽をするか、探りながら出した答えを綴っていきたい。

さぁ、海が始まる。

最後に

闘病が辛すぎて、でも諦めたくない、明日すべてが良くなるかもしれないじゃないか、という希望を込めて十年くらい前に作った曲があります。

聴いていってくださると嬉しいです。

宮本輝の「ここに地終わり 海始まる」「青が散る」もとても良書なので、興味があれば読んでみてください。

青が散る

ここに地終わり 海始まる

 

 

author avatar
白晝堂々
白晝堂々(はくちゅうどうどう) 音楽制作、強電・再エネの仕事、海外の仕事で自転車操業している人です。 大学時代に体育会テニス部に所属しており、ある試合直後くらいからにジストニア、慢性疼痛を発症。 確定診断された病気は、ジストニア、胸郭出口症候群、ヘルニア、顎関節症など多数。手術も経験してます。1,600万ほどの費用でさまざまな治療を試した結果、現在は寛解に向かってます。 同様の症状に苦しむ方への情報発信と、これからの暮らしについて綴ります。 Shareして頂けると励みになります。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

白晝堂々(はくちゅうどうどう)

音楽制作、強電・再エネの仕事、海外の仕事で自転車操業している人です。

大学時代に体育会テニス部に所属しており、ある試合直後くらいからにジストニア、慢性疼痛を発症。

確定診断された病気は、ジストニア、胸郭出口症候群、ヘルニア、顎関節症など多数。手術も経験してます。1,600万ほどの費用でさまざまな治療を試した結果、現在は寛解に向かってます。

同様の症状に苦しむ方への情報発信と、これからの暮らしについて綴ります。

Shareして頂けると励みになります。

コメント

コメントする

目次